サクソン人とデーン人とノルマン人の王位争い
和解協議もあり、とりあえず、バイキングの襲来が落ち着き、以後安泰のウェセックス王(サクソン人)の時代が続くかのように見えましたが、アルフレッド大王も亡くなり、そのひ孫のエドガー王の時代になると、情勢が変わります。エドガー王はデーンローの居住地を徐々に併合していったのです。デーン人からしたら、最初の約束を違うじゃないか!ということで不満が蓄積していくわけですね。もう内紛状態です。エドガー王は3回結婚しており、1人目の奥さんのエセルフレダとの間に長男エドワード殉教王、3人目の奥さんのエルフリーダとの間に、エセルフレッド2世が生まれます。エドガー王が亡くなると、エドワードが順当に王位に就くわけですが、自分の息子を王座に就かせたいエルフリーダは手下を使ってエドワードを暗殺してしまいます。ひどいですね~。

そして、今度は、エセルフレッド2世が王位に就きます。この時、わずか10歳です(978年)。小学4年生が政治の実権を握るようなもので、不安でしかありません。そうなると、いよいよデーン人の反抗が強まり、イングランド王国に侵攻してくるようになりました。焦ったエセルフレッド2世はデーン人がノルマンディーを拠点にして、攻撃してくることを恐れ、ノルマン公リシャール1世の娘であったエマを王妃として迎え入れます。エマは、ノルマン王国の宝石といわれた絶世の美女だったようです。ノルマン王国とは、フランス北西の地方で、元を辿れば、スカンディナヴィア半島やユトランド半島(デンマーク)出身のバイキング(ノルマン人)たちがフランスに帰化し、領地を与えられた土地です(モンサンミッシェルもこのノルマンディーエリアに存在しているだとか)。また、Normandieとは「北の人間の土地」という意味で、その名の通り、その土地の人々は北欧語を話していました(時の経過につれて、だんだんと、フランス語を話すようになっていくのですが)。要するに、デーン人たちに対する牽制の意味も込めて、ノルマンディーと縁戚関係を結び同盟関係を築きます。しかしながら、国内のデーン人達の反抗は続き、エゼルレッドは国内のデーン人を虐殺するようになります(聖ブリスの日の大虐殺;1002年)。

これに激怒したデーン人の王スヴェン1世が、翌年、息子のクヌートとともに北欧の大軍を引き連れてイングランドに上陸。エゼルレッドは、イングランドの国内勢力をまとめ上げることができず、ついに1013年、デーン人の攻撃に屈して奥さんの実家があるノルマンディーへの亡命を余儀なくされました。ところが、翌年の1014年、スヴェン1世が急逝し、その混乱に乗じて、エゼルレッドが、イングランドにまたまた帰国し、王に復権することになります(←油断ならない)。しかしながら、今度はスヴェン1世の息子のクヌートが1015年、イングランドに侵攻。イングランド側は苦境に立たされ、生涯を通じてデーン人と争ったエゼルレッドも1016年、病没。こうして、クヌートがデーン人としてイングランドの王位に就くことになったのです。しかも、クヌートは図々しいことに、エゼルレッドの奥様だったエマと結婚することになるのです。生まれ年から考えると、エマは当時、クヌートよりも10歳離れた年上のお姉さん的な存在であり、やはり美人でモテモテだったのでしょう(デーン人とノルマン人の政略結婚的な見方もあるかもしれませんが….)。
クヌート王はイングランドのほかに、デンマーク王、ノルウェー王もかねて、北海帝国と言われる広大な王国を築き上げました。そしてあまりにも広大なために、イングランドを①ノーサンブリア②東アングリア③マーシャ④ウェセックスの4つの州に分割し、①②をデーン人の所有、③④をイングランド人の所有としました。つまり、イングランドの島の一部が北欧の一部だった時代があったわけです(意外ですね~)。しかしながら、今度は、クヌートが1035年に亡くなってしまいます。そうなると、その広大な領土を維持することが出来ず、急速に瓦解。クヌートの前妻のエルフィフとの間に生まれた、ハロルド1世が王に即位しますが、ほどなく亡くなってしまい、クヌートとエマとの間に生まれた、ハーディクヌートが王位に就きます。ハーディクヌートの政治の手法は強欲で、厳しい増税を行って、非常に評判が悪く、1042年に葡萄酒を飲んでいる時に死んでしまいます(多分、暗殺)。ハーディクヌートは子どもがいなかったためデーン人による王朝は、3代で幕を閉じてしまうのです。
そうなると、今度は、エゼルレッドとエマの子のエドワード懺悔王が、アングロサクソン人の王としてその座に就くようになります。まさにデーン人とアングロサクソン人の親子同士のイングランド王国の覇権争いですね。エドワードは熱心にキリスト教を保護したことで有名で、有名なウェストミンスター寺院を1065年に建立しています。ちなみにこの場所はその後の大改築を繰り返し、あのウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式が執り行われた場所でも有名です。観光もできるそうなので、いつか行ってみたいな~。
エドワード懺悔王はウェセックス州の長官であったゴドウィンの娘のエディスと結婚しますが、ゴドウィンがこれを契機に自分の立場を強めようとしたことで、エドワードから疎まれ、エドワードとエディスは離婚してしまいます。また聖職者でもあったエドワードは純潔を守ることもあり、2人の間には子どもが出来ませんでした。
そうなると、今度は誰が王位に就くかです。そこで、登場したのが、エマの兄のリシャール2世の孫であるウィリアム1世です。要するにエドワードからしたら、叔父さんの孫ですね(いとこの息子)。エドワードは、幼いころ父親のエゼルレットと母エマと一緒にノルマンディで多くの時間を過ごしていており、イギリス人という自覚に乏しく、どっちかというとノルマン人と言う感覚だったようで、ウィリアム1世とも距離感が近かったんですね。そんなこともあって、子どもに恵まれなかったエドワードは、次期王位はウィリアムに譲ると生前約束していたそうです。ところが、エドワードが臨終の時になると、国内統治に貢献したエディスの兄であるハロルドに王位を譲るという、ちゃぶ台ひっくり返しの発言を行いました。一時的には王座に就いたハロルドであったものの、怒ったウィリアムと戦いに敗れ、ウィリアム1世がイングランド統一、初代イングランド国王となるわけです。1066年12月25日のクリスマスでした。このウィリアム1世から連綿と現在の英国王チャールズ3世と血がつながっていくわけですね~。



コメント